※
誰が泣いとるんじゃろうか。何が啼いとるんじゃろうか。
聞こえんのかな、あんた方にゃ。聞こえんなら聞こえんでええでしょう。わたしが変なんじゃけえな。
普通、こねえな婆さんになったら耳は遠ゆうなるはずじゃけど、わたしは違うんですらあ。と言うても、肝心な物音はやっぱりよう聞こえんのです。
冴えて聞こえるんは、この世にない音ばっかしじゃ。それはわたしが、あの世の方が近い婆さんじゃからと、思われますかな。
※
こんな出だしで始まる、岩井志麻子 著『夜啼きの森』('01/角川ホラー文庫)。
※
…蓄音機でレコードもかけてみた。ちょうど一円のレコードからは、懐かしい近松情話が流れてくる。懐かしいと感じるのは、昔これを聞いていた時が仕合せだったからだろう。
※
※
やよひの婿は頭がぼんやりしていて、嫁と姑の言いなりだ。善良だけが取り柄のあの婿を見ているとみちこはいつも気が滅入る。
やよひには悪いが、この常に薄暗い湿って陰気な村で、あの男と死ぬまでへばりついているのかと思うと裸足で闇雲にどこかへ駆けていきたくなる。
※
※
そのやよひに決定的な何かを突き付けられたのは、緑陰が滴るほどの明るい初夏の宵だった。森も田圃も畦も、蒸れた青臭い匂いを放つ日だった。
「うちの人か。ありゃあ、ほんまに」
養蚕の手伝いにでかけたやよひに届け物を持っていった際、虔吉は偶然に女達の話を聞いてしまったのだ。砂子の家の養蚕小屋だ。
母屋の隣に茅葺き平屋の納屋があり、奥に十二畳の養蚕室をしつらえてあった。すでに繭を作る時期にあるため、女達は半数近くが交替でここに手伝いに来る。天井に空気抜きは拵えてあるが,大変な熱気が籠っている。
虔吉の頭も熱く蒸れた。
「馬場の子供とでも遊んどりゃええ」
(中略)
「頭の中身はおんなじくらいじゃけえ」
(中略)
虔吉はその貧しい家の子にありがちな、早くに色々なことに気付く可哀想な賢さを身につけた男の子を思い出していた。あの子は辰男に憧れの気持ちを抱いている。そうして早くも虔吉は軽んじてもいい男ときづいている。
それでも虔吉は、彼を可愛がってやっていた。(中略) こちらを軽んじながらも懐いてはいてくれたからだ。将来は、辰男に似るか、自分に似るという予感もあった。
「何を罰当たりな。虔吉っつぁんはええ人じゃが」
だが、こんなふうにやよひが陰で笑っていたとは。しかも大勢の前でこのように亭主を貶めていたとは。即座に庇ってくれる声があがった時は、涙が出そうになった。
(中略)
戸口から覗き込む虔吉は、自分を庇ってくれた女を探した。
その女は石野みち子だった。(中略) この女は小馬鹿にしている相手だけを誉める。その相手が少しでも浮上しかけると激しく叩く。
やよひとも、本当は友達ではなかろう。自分のような薄ら馬鹿が亭主なので、みち子は安心しきっているのだ。
「ほんなら、あんたにあげようか」
(中略)
それは真っ直ぐに、虔吉の胸を射貫き、抉った。
「いらんわ」
※
最近、俺 検索ランク入りしてきた岩井志麻子さんの『夜啼きの森』。この人が女性を描写すれば、こんなにもあからさまに、そして怖い。俺もそんなものもよく知るだけに、背筋も凍る。
※ 引用。
誰が泣いとるんじゃろうか。何が啼いとるんじゃろうか。
聞こえんのかな、あんた方にゃ。聞こえんなら聞こえんでええでしょう。わたしが変なんじゃけえな。
普通、こねえな婆さんになったら耳は遠ゆうなるはずじゃけど、わたしは違うんですらあ。と言うても、肝心な物音はやっぱりよう聞こえんのです。
冴えて聞こえるんは、この世にない音ばっかしじゃ。それはわたしが、あの世の方が近い婆さんじゃからと、思われますかな。
※
こんな出だしで始まる、岩井志麻子 著『夜啼きの森』('01/角川ホラー文庫)。
※
…蓄音機でレコードもかけてみた。ちょうど一円のレコードからは、懐かしい近松情話が流れてくる。懐かしいと感じるのは、昔これを聞いていた時が仕合せだったからだろう。
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やよひの婿は頭がぼんやりしていて、嫁と姑の言いなりだ。善良だけが取り柄のあの婿を見ているとみちこはいつも気が滅入る。
やよひには悪いが、この常に薄暗い湿って陰気な村で、あの男と死ぬまでへばりついているのかと思うと裸足で闇雲にどこかへ駆けていきたくなる。
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そのやよひに決定的な何かを突き付けられたのは、緑陰が滴るほどの明るい初夏の宵だった。森も田圃も畦も、蒸れた青臭い匂いを放つ日だった。
「うちの人か。ありゃあ、ほんまに」
養蚕の手伝いにでかけたやよひに届け物を持っていった際、虔吉は偶然に女達の話を聞いてしまったのだ。砂子の家の養蚕小屋だ。
母屋の隣に茅葺き平屋の納屋があり、奥に十二畳の養蚕室をしつらえてあった。すでに繭を作る時期にあるため、女達は半数近くが交替でここに手伝いに来る。天井に空気抜きは拵えてあるが,大変な熱気が籠っている。
虔吉の頭も熱く蒸れた。
「馬場の子供とでも遊んどりゃええ」
(中略)
「頭の中身はおんなじくらいじゃけえ」
(中略)
虔吉はその貧しい家の子にありがちな、早くに色々なことに気付く可哀想な賢さを身につけた男の子を思い出していた。あの子は辰男に憧れの気持ちを抱いている。そうして早くも虔吉は軽んじてもいい男ときづいている。
それでも虔吉は、彼を可愛がってやっていた。(中略) こちらを軽んじながらも懐いてはいてくれたからだ。将来は、辰男に似るか、自分に似るという予感もあった。
「何を罰当たりな。虔吉っつぁんはええ人じゃが」
だが、こんなふうにやよひが陰で笑っていたとは。しかも大勢の前でこのように亭主を貶めていたとは。即座に庇ってくれる声があがった時は、涙が出そうになった。
(中略)
戸口から覗き込む虔吉は、自分を庇ってくれた女を探した。
その女は石野みち子だった。(中略) この女は小馬鹿にしている相手だけを誉める。その相手が少しでも浮上しかけると激しく叩く。
やよひとも、本当は友達ではなかろう。自分のような薄ら馬鹿が亭主なので、みち子は安心しきっているのだ。
「ほんなら、あんたにあげようか」
(中略)
それは真っ直ぐに、虔吉の胸を射貫き、抉った。
「いらんわ」
※
最近、俺 検索ランク入りしてきた岩井志麻子さんの『夜啼きの森』。この人が女性を描写すれば、こんなにもあからさまに、そして怖い。俺もそんなものもよく知るだけに、背筋も凍る。
※ 引用。
コメント
コメント一覧 (1)
痛いとこ突くな〜(^^;;
ま、いっか。って跳ばしたとこだよ、まさか気になるとは思わなかった。
では、※欄で、そのうち…
m(_ _)m
高野十座
(やっぱ、気になるかぁ〜)
(T ^ T)