映画の方は【ペット・セメタリー】('89/米)。キング自身が脚本を書いている。

今回はその原作『ペット・セマタリー('83)』('89/ スティーブン・キング著、深町眞理子 訳/ 文春文庫) のレビュー。

何故?セメタリー(Cemetery)とセマタリー(Cematary)?で違うのかというと、この小説に登場するペット霊園の看板が、子供の字で間違えたスペルで書かれていた、という描写を生かし そのままタイトルにしたのだそう…

日本語版の小説もそれに倣って同じく題名は、セマタリー。
_φ(・_・

俺はこの小説の映画 が大好き。それこそ悲哀とか郷愁を映像にしたらこんな なんだと思う。
だからホラー映画ではあるんだけども、云わんとする本質を考えれば 殊の外切ない物語だよ、本当に。

その線描的な愛の描き方は、監督が女性、てのもあったかもね、Part2はみるも無残だったけど…


都会の競争社会を嫌ってメイン州の美しく小さな町に越してきた、若い夫婦と二人の子どもの一家。だが、家の前の道路は大型トラックがわがもの顔に走り抜け、輪禍(りんか=交通事故) にあう犬や猫のために〈ペットの共同墓地〉があった。しかも、その奥の山中にはおぞましくも…(中略)
猫のチャーチがひよっこり戻ってきた。腐った土のにおいをさせて、森の奥から戻ってきた。ならば愛する息子のゲージが帰ってきてもいいではないか!

(上下巻 裏表紙あらすじ より抜粋引用)

と、まあ、あ!あの話ね、って思い出す人も多い?
そうです、愛する者を失った主人公が、愛 故に、ペット・セマタリーの更に奥に隠すようにひっそりと在る…そこに埋葬すれば蘇ると伝説の…インデアンの墓地にペットの猫を埋めたら帰ってきたから、亡くなった息子でもやってしまいました、ってお話。端折って云うと。

そしてキングの原作は、上下巻に渡る長編大作…


「やあドック」クランドルは言った。「きっとあんただろうと思ったよ」
「ビールのお誘いがまだ有効ならいいんですが」ルイスは中に入りながら言った。
「有効だとも。ビールのことはけっして嘘は言わん。ビールのことで嘘をつくようなやつは、必ず敵をつくるものさ、さあかけてくれ、ドック。いつあんたがきてもいいように、二罐ばかり余分に冷やしといたところだ」


主人公のドックことルイス・クリードと、鍵を握る隣人ジャドとのファーストコンタクト。キング的、アメリカ的描写。

俺もそうだ。「今度また(呑みに) 行きましょう」なんて社交辞令言ってる奴に限って中味無くペラペラ。信じないよね、そーいう人間。

それに「言われたから」って健康ピンピンな癖に急に禁酒しちゃうやつも信じない。身を案じてくれる、てのと、呑まず健康で稼いでくれよ私の為に、は言いようによっちゃあ似てるけど。


夜になってからジャド・クランドルを訪ね、ビールを一、二杯つきあうというのは、ちよっとした習慣になりかけていた。ゲージの夜泣きがおさまったころには、ルイスの方から二日めか三日めごとに六罐入りのパックを下げてゆくようになった。ノーマ・クランドルにもひきあわされた。柔和で、人あたりのいい老女だが、慢性関節リウマチをわずらっている───関節炎のうちでもとりわけ悪性で、ほかはまったく健康体でも、この苦痛だけで人が変わったようになることがある。けれども、ノーマの態度はりっぱだった。彼女は苦痛に負けることを拒んでいた。白旗をかかげることをいさぎよしとしなかった。堂々と胸をはって、病苦よ、くるならきてみろ、といどんでいる。ルイスの見たところ、このようすなら、まだ…


キングの小説には、つーか小説の良さ、てのは、こうしたサラリと励みになる文章が、ホラーだろうがSFだろうが、必ず織り込んであることだよね、

あぁ、俺も頑張らなくちゃ、とか思わなきゃウソだろ、これ読んで…
(#^.^#)

そして、最初に起きたこと、猫のチャーチがトラックに撥ねられ…


「さあ、早く猫を埋めてしまうんだ。わたしは一服やってる。手伝ってやりたいところだが、これはあんたひとりでやらなきゃいかん。各自が運んできた死者を埋める。むかしからそういうきまりなんだよ」
「ジャド、これはいったいどういうことなんです?なんでぼくをこんなところまで連れてきたんです?」
「なぜならあんたがノーマ(妻) の命を救ってくれたからさ」
(中略)
「あとは石塚だ」ジャドが言った。
「しかしねぇ、ジャド、ぼくはもうずいぶんくたびれてますし───」
「エリーの猫だろう?」ジャドは言ったが、その声音は穏やかではあっても、一歩も引かぬきびしさがあった。「あんたがこれをきちんとやりとげることをあの子は望むはずだ」


ジャドは何の理由も告げぬまま、ペット・セメタリーの隣、ミクマ族インディアンの埋葬地に、ルイスの娘が可愛がっていた猫を埋めるよう進言する。


「ジャド、今夜われわれのしたことはなんだったんです?」
「なにって、あんたんとこの嬢ちゃんの猫を埋葬しただけさ」


…そして、死んだ筈の猫は帰ってきた…


チャーチの体は、酔ってでもいるように、前後に揺れていた。ルイスは歯を噛みしめて悲鳴を押し殺しながら、そのようすを見まもった。全身が嫌悪に粟だった。
(中略)
「おい、出ていけよ」ルイスはかすれた声でチャーチに命じた。
チャーチなおしばらくまじまじとルイスを見つめていたが───くそ、この目はちがうぞ、なんとなくいままでのとはちがう───やがておもむろに便器の蓋からとびおりた。とびおりた動作には、猫が通常誇示する、あの超自然的なほどの優雅さはかけらほどもなかった。ぶざまによろめいて、どさりと浴槽に尻をぶつけ、それから彼は歩み去った。


愛する者の死を目の当たりにして、その時、こんな超常的な場所が近所に在ったとして、その場所へ埋葬する───誘惑に抗える人はいるのだろうか…?

猫のチャーチだけでなく、息子まで事故で失ったとしたら…


「あとひとつだけ、質問してもかまいませんか?」ルイスはたずねた。
「まあな」
「いままでに、だれか人間をあそこに埋めた人ってのはいますか?」ジャドの腕が痙攣的に動いた。はずみでビール瓶のうちの二本がテーブルから落ち、その一本はこなごなに砕けた。
「なんてことを聞くんだ」彼は頭ごなしに言った。「とんでもないこった!だれがそんなことをするわけがある?口に出すのもはばかられることだぞ!」
「ただ好奇心を持っただけですよ」居心地の悪い思いで、ルイスは釈明した。
「好奇心もほどほどにしないと、ときには身を誤るぞ」ジャド・グランドルは言った。
(中略)
ジャドは嘘をついているように見えたのだった。


ま、結局のところ、愛する者が目の前に居る日常、が当たり前とは限らないのは、去年からのこの国の愁いを思えば、誰にも他人事ではないということ…

あなたのその愛も、一方的にならそれはただの嗜好、欲求だし、愛以外の目的、が
実はあるならば、それは計算、打算だから。

…そこに心底 愛する者が存在していてくれてこそ 自らの愛も存在し得るわけで、

放ったらかし、放し飼いで、必要な時にだけ愛を求めても それは身勝手 というもの。

斯くして…こんな埋葬地があれば、人は迷いなくそこに埋めるだろう。俺なんか絶対やる。

そしてこの後、この物語は取り返しのつかない悲しみの連鎖に彩られることとなり…上巻の、ほんのり柔らかな"家族の物語"から一転、

ジェットコースターのような恐怖の下巻へとなだれ込んでゆく。

…けっこう有名な話だから、ネタバレならん様、ここから先は本編をお読みください。
m(_ _)m




人の心の土壌は、もっとかたいものだよ、ルイス……人はそこになんでも植えられるものを植える……そしてそれを大事に育てる。



傑作です。(^_−)−☆







※ 引用。