プロレスリング・ノアは18日、仲田龍リングアナウンサーが15日に心筋梗塞のため急死していたことを発表した。51歳だった。葬儀は親族のみで執り行われた。

 仲田さんは全日本プロレス時代は故ジャイアント馬場さんの秘書役を務め、ノアでは渉外部長やGMとしても活躍。“方舟の仕掛け人”のあまりにも突然の訃報にノアは大激震となった。仲田さんは特に持病を抱えていたわけでもなく、突然体調が急変したものと思われる。

 GHCジュニア王者の石森太二は「数か月前の健康診断の数値が全体的に悪く、ダイエットしようとは言っていた。でも病気という感じはまったくなかった。突然で実感が湧かない」とぼうぜん。ノアの田上明社長は憔悴(しょうすい)しきった表情で「あとで発表するから…」とだけ語り、東京・江東区の事務所を後にした。

 仲田さんは高校卒業後に全日プロに入社。リングアナとして活躍する傍ら、秘書兼ドライバーとして馬場さんを支えた。2000年に故三沢光晴さんとともにノアを旗揚げ。三沢社長の側近として辣腕(らつわん)を振るった。また、新日本プロレスなどとの対抗戦を実現させ、平成マット界の底上げに大きく貢献した。「龍さん」の愛称で親しまれる一方「龍さんにニラまれたら未来はない」と言われるほど業界内で力を誇った。

 ノアでは一昨年末に秋山準らが大量離脱し、昨年5月には鉄人・小橋建太が引退。残った選手で巻き返しを図ってきたが、今度はスポンサーや他団体に顔が利く“背広組の絶対エース”を失った痛手はあまりにも大きい。

 この日、事務所を訪れた杉浦貴は「訃報は昨日聞いた。病気のそぶりも見せなかったし、見えなかった。龍さんはノア旗揚げから三沢さんを支えた。三沢さん、龍さんがつくったノアをなおさら守らなければいけない」とキッパリ。ジュニア王座を10度防衛している石森も「龍さんはプロレス界に一時代を築いたといっても過言ではない。そんな人がつくったノアを僕らが立て直すしかない」と誓った。ノア22日ディファ有明大会では追悼セレモニーが行われる見込みだ。
http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/236351/
※引用。



言いたいことはたくさんある。だけど今は、お疲れ様でした。龍さん。


高野十座