16年も経つんだね、もうディッキーに逢う事が 叶わなくなって…

このlogには名前よく出てくんだけど、まだ紹介してないからね…

俺歌の最初のCDのカップリング『Dear-"D"』は、このディッキーの"D"でもあるんだよ、知ってた?

そしてこのブログはディッキーの命日にスタートさせた。
同期の三沢選手がリングで倒れたその日に、彼のブログへとお悔みを言いに行って、そこからこのブログを始めたんだよ。

で、よく6月14日から書き始めた。

【故 ディック・マードックさん】
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俺はいちばん身体が小さかったから、彼はそれをいつも気にかけてくれてて…ほら、新人は給料雀の涙、だから。

それ知ってるから、 多分 日本人選手のどの先輩方よりディッキーが俺には飯 食わしてくれてたよ、
いや、キリンビール呑みに行ってた方が多かったかな?

そうね、気に入った後輩に仕事を頼むのがアメリカ人。だってチップ払わなきゃなんないから、

そんなで、向こうの人はハッキリしてるから、いつもディッキーの側に居させられてたよ。その分嫉妬 買ってんのも気付かずに、

アメリカにも来い、って誘ってくれた事ある。でもさ、実はもうデビューあたりには首が悲鳴あげててさ、それを明かせば新人なんて即クビなのわかってたし、
…左耳の下から骨がボコッと飛び出てたかんね。

そして今、この歳で後遺症と戦ってるってわけ。

でも、命 続いてるだけまだマシか。皆が天国から見守ってくれてんのかな?

ディッキーにあんなに仲良くしてもらって、護ってもらって…今思えば彼が居なかったら何も、ひとつも、何もかも夢は叶わなかったろうな…

一緒に写った写真が一枚だけどっかにあるよ…

ディッキーが東スポのカメラさんに飛行機の機内で撮ってくれって頼んで、数日後に出来あがったモノクロ写真を一枚、俺にくれたんだよ。

「カイオート(ディッキーが俺を呼ぶ時の呼び名、コヨーテのこと) 、プレゼントォ!」つって。

それが唯一の、俺が彼からもらった、名レスラー ディッキーの形見。出てきたら見せるね。


今にして思えば、

彼は恩人。10代の頃の俺の夢の…全ての恩人。