何ヶ月か前までは、自分は何者かになれる何者かであり、才能も実力もあふれているのに世間がバカで見る目がないがために、不遇な不当な立場に立たされていると本気で信じ込んでいた。

世渡りが巧いだけの小ずるい愚民ばかりが陽の当たる場所にいると断定し、断罪していた。世界の隅っこから、いじましく世の中を攻撃し、クソどもは死ねと激しい言葉を使っても、心の中で小さくつぶやくだけ。

クソも死ぬべきも、自分自身なのだった。

言い訳になるかどうかだが。中学からずっと地元の進学校に通い、東京の有名大学に進んだ。遊ぶ女の子も適当にいて、勉強以外のあれこれも、だいたいそつなくこなせた。

自分の人生は順調そのもの、とすら思わなかった。うまくいくのが当たり前であり、一目置かれるのが当然だったからだ。

(中略)
付き合っていた女の子とは、こっちから遠ざかった。遠ざけられる前に、遠ざかった。それだけだ。

自尊心の強さと劣等感の深さは比例するのは、僕が臨床例となれるか。






岩井志麻子さん、すげ。
(⌒-⌒; )

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※ 岩井志麻子 著『無傷(むしょう)の愛』('09/双葉社) 収録【冷笑の部屋】より引用。