東京に高野の親戚はG兄と、叔母達が唯一いるだけ。父方の 顔も知らない血縁を加えたらもう少し増える。

もし311の様な、特別な出来事が起きて、大きなショッピング・センターに、見知らぬ他人と閉じ込められた時、そこにたまたま居合わせたとして、果たして血縁だからと優遇したり、親戚同士助け合ったりするものなのだろうか?

遠い親戚より、近くの他人、というではないか?

そんな今回は、スティーヴン・キングの有名な中編、
大好きな怪獣映画、【グエムル-漢江の怪物-】('06/韓) と俺的に横並びの一本【ミスト】('07/米) の原作にあたる、

『闇の展覧会・霧('82)』(カービー・マッコリー編/ハヤカワ文庫) 収録の『霧』('80)
('08新装板、スティーヴン・キング著、矢野浩三郎 訳) を読む。


どうも気に入らない。はっきり言って、あのような霧は、いままで見たことがなかった。ひとつには、その先端が驚くほど直線的だということだ。自然界にはあれほどすっぱり裁ち切ったような線は存在しない。直線は人為の産物なのだ。もうひとつは、濃淡も水蒸気のきらめきも見られない、目もくらむばかりの純白の色である。


奇怪な、 輝きのない 純白の謎の霧。物語は嵐の晩から発生したこの【霧】から始まる。


わが家の土地の西端にある野菜畑へとつづくセメント道に、ステフが立っていた。手袋をはめた片方の手に植木ばさみ、もう片方に除草くま手を持っている。縁がひらひらする古い日よけ帽をかぶり、そのために顔の上半分が影になっている。私が警笛を軽く二度鳴らすと、それにこたえて、植木ばさみを持っている方の手をあげた。私たちは出発した。それが妻の姿を見た最後になった。


主人公のデヴィッドは、この嵐の後、隣家のノートン(家の境界線の件で裁判で争ったことがある) と、息子のビリーを連れ街のショッピング・センターに買い出しに出る。


事態は急速度に、混乱の様相を呈しはじめた。男が〈入口〉のドアを乱暴に押しあけて、よろめきながらマーケットにはいってきた。鼻から血が流れている。「霧の中に何かいるぞ!」男が叫ぶと、ビリーが竦みあがって私に寄り添ってきた。


群集心理の怖さが滲む。無責任、被暗示、非論理…


「みなさん!」ノートンがどなった。「みなさん、聴いてください!」
みんながふりむいた。ノートンは選挙の立候補者が賞賛を受けるときのように、指をひろげた両手を上にあげた。
「外に出るのは危険かもしれない!」と、さけぶ。
「どうしてよ?」と、女がさけび返す。「子供たちが家にいるのよ!子供たちのとこに帰らなきゃならないのよ!」
「外に出ると死ぬわ!」ミセス・カーモディがすかさず口を出した。(中略)
ティーン・エイジの男がいきなり彼女を突きとばしたので、彼女はびっくりした声をあげて袋の上に尻餅をついた。「黙れ、この婆ァ!くだらん戯言を吐くな!」
「さあ、みんな!」ノートンが声を張り上げる。「霧が通りすぎるまでしばらく待っていればきっと───」
これにたいして異議を唱えるざわめきが起こった。
「彼の言うとおりだ」私がざわめきをしのぐ大声をあげた。「みんな冷静になろう」「あれは地震だと思うね」眼鏡をかけた男が言った。(中略)……もう一方の手で、ビリーより一歳年下ぐらいに見える女の子の手を引いている。「ぜったいあれは地震だと思う」
「四年前にネイブルズで一度あったよ」太った土地の男が言う。
「あれはカスコーだわよ」細君がすかさず反駁する。(中略)
「ネイブルズだよ」太った男は言ったが、さほど自信はないらしい。
「カスコーよ」細君がきっぱり言い、亭主はひきさがった。


こんな時は身内も他人も関係ないね、ほんのちょっと判断を誤れば死に直面する。

そして、異形のものどもが姿を現す。


一本の触手が、コンクリートの搬入口のプラットフォーム越しに伸びてきて、ノームのふくらはぎに巻きついた。私は口をあんぐり開けた。オリーは喉の奥から出たような短い驚きの声を発した。触手は先端が細くなっていて、ノームの脚に巻きついているあたりは一フィートぐらいの、グラススネークほどの太さになり、それがしだいに太くなっていって、霧に隠れているあたりでは、おそらく四、五フィートはあろうかと思われた。上の方はスレートのようなねずみ色なのか、下にいくにしたがって肉色ににたピンクに変わっている。その下面に吸盤がびっしり並んでいた。その吸盤が、何百もの窄めた口のようにうごめいている。


映画では、ほぼ忠実に再現してんだね、この場面。


彼(ノートン=弁護士、隣人) はこわいのだ。と私は自分に言いきかせた。ここで彼をやりこめてやろうと考えてはいけない。今朝すでにその気分は味わった。あれで充分だ。あの馬鹿げた境界線争いで彼が見せた態度……最初は恩着せがましく、やがて嫌味たっぷりになり、最後に自分の負けがはっきりしてくると、ひどく見苦しい態度に変わった……


人は、肩書きや家柄で判断されるべきものではない。そんなのは ブランドものの洋服を纏い、見栄を張る程度に無意味なことだと思う。

それまでは、自分の値段が、そのブランド込みであることが周りに知れるまでは、恩着せがましく、嫌味たっぶりに、価格の吊り上げを図るのだ。

しかしそのブランドの価格を値札から差し引けば、見苦しい態度で 後ろ足で砂をかける、そんな刺繍がインナーに、裏生地に描かれているものだ。

ノーブランドでも、アウトレット、リファービッシュでも、無印で良品なものは無限にある。


……あのノートンのほうが、私は好きだった。彼が自分の行動を本気でしんじていたのかどうか、私にはわからなかったし、いまもってよくわからない。心の奥底では、これからなにが起ころうとしているか彼は察していたのではないか、と思っている。それまでの人生で彼が口先だけで信奉してきた論理が、最後になって、飢えた凶暴な虎に変じ、逆に襲いかかってきたのではないか。


結局ノートンは死に、映画では若い兵隊とレジの姉ちゃんのワンナイト・ラブなんかもあるんだけど、この原作じゃあ主人公デヴィッドが、愛する妻を強く想うわりには、手近な 違う女とするんだね、随分カンタンなんで、アメリカ人ぽいなあ、とか思ったりする。


横たわると、彼女が言った。「愛してデヴィッド。あたしを温めて」絶頂に達したとき、彼女は私の背中に爪を立て、私のではない別人の名を呼んだ。私は気にしなかった。それでほぼ五分と五分になったから。


この後の描写も笑える。
(#^.^#)


アマンダはすでに通路のなかばまで行っていて、ふりむきもしなかった。


やっぱアメリカ。アメリカ人はすごいな。

あと、こんな台詞もアメリカ的で面白いな、とか思った。


「ドーナツを一つどう?」と箱をさしだす。
私はかぶりを振った。「白砂糖は死につながる。煙草よりももっと有害なんだよ」


健康には充分な配慮をしております。

ただ、S・キングにミスドのCMは来ない。
(ーー;)


そいつは六本脚だった。それは確かである。皮膚はスレートのような灰色で、所々に暗褐色のまだらがあった。(中略) 皮膚は深い皺と襞におおわれ、そこに、何十匹、何百匹という、あの茎状部に目をつけたピンク色の"虫"がしがみついているのだった。実際にどの位の大きさだったかはわからないが、そいつは私たちの真上を通って行った。灰色の、皺だらけの脚の一本が、たたきつけるように車の窓のすぐそばに降りてきた。あとでミセス・レプラーが語ったところによると、彼女は首を差しのべて上を見上げたが、そいつの胴体の下のほうも見えなかったという。見えたものといえば、隻眼の巨人キュクロプスのもののような、二本の脚が、視界から消えるまでの間、まるで生きている塔のように、霧の中へ持ちあがっては降りてくる様子だけだったそうだ。


映画のラストの方に出てくる、ヌメっとした人肌みたいな質感の…巨大怪獣…、これも原作に忠実。確かにこんなん出てきたわ。
( ̄◇ ̄;)

と、まあ原作は映画のあの衝撃的なラストとは違い、どうなったかは見せないまま終わる。

そのラストについては映画本編をご覧いただくとして、それが原作にはなかったとしても【霧】、どちらも噂通りの傑作でした。

日本語文章で観る映画(c)、てのもなかなか楽しいと思うよ、脳内変換して、想像力豊かにお楽しみ下さい。
(^∇^)

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※ 引用。