岐阜に居た頃、
母親が男と不倫して、2人して逃避行した場所、
そこは広かったけど、共同トイレに風呂、共同台所と、妙な長屋だった。

長屋つっても、其々の家は別に普通に独立してんだけど、
一つの入り口、門?から入ってく感じの集合住宅。

うちの家と、その向かいの家の間のエントランス?広場?庭?を繋ぐ上空にだけ屋根がなく、
うちより奥は縦長に数件、左右二階と連なって本当の長屋になってる。

屋根が各家々を繋いで、陽が当たらないからどよーんと暗く湿ってて、何となく近寄り難い雰囲気だったなあ…

つーか怖かった。

雨が降ると、うちの前は泥びたしになるんだけど、
それを眺めるのは好きだったの覚えてる。

そう風呂!風呂が怖くて!五右衛門風呂つーの?
木で出来た円筒形の、座頭市に出てくる様なやつで、
丸くカットしたスノコみたいなのを足下に敷いて、
それと一緒に身体ごと湯船に浸かるみたいなやつね、

だから、まだ幼稚園だった弟を、風呂に入れんのがかなり恐かったよね、

俺もまだ小4だったし…

その共同風呂を沸かして、釜で毎日ご飯炊くのが俺の役割だった。

釜炊きは、ジャーと違ってずーっと見てないと焦げるから、
前に座ってさ、白い煙が吹いてくんの待つわけ…
下手したら飯抜き、だけはカンベンだから。

釜炊きって、別にそんな旧い時代じゃないんだよ?
ほら、
お母、男と逃げて来たわけだから、
家電品は持ち出せなかった、とかそんな風なことでね。

今じゃ考えらんないけど、そこの規則で 風呂も毎日は入れなくて、
一日置きとか?そんなんだったな。

でも、俺はそこの風呂が苦手だったから、ラ
ッキー!みたいに思ってたんじゃん?

ガキだし、ヤンチャだし、
何日も風呂入らないで済むなら入らない、ってお年頃だしね、

向かいの家には、うちと同じく小学生の、そっちは兄妹 が居たな。

結構なちゃんとしたご家族で、うちには無か
ったテレビもちゃんと有ってさ、

うちは朝飯も無かったけど、
毎朝そこの朝食時には、『おはようこどもショー』が点いてんの。

学校はそこの長屋から歩いて5分程度なんだけど、
やっぱ集団登校はしなきゃダメで、

前ん家の 年下の子と 一緒に学校行く振りで、毎朝 こどもショー内で放送してた、
【レッドマン】を横目でチラチラ盗み見してたよ。

俺はルール守るの苦手だし、
その岐阜の学区でも、集団登校なんて全く、たぶん数回しか参加しなかったから、

向かいの子供も 段々俺の真の目的に気付いたみたいでさ、
そのうち俺が迎えに行くと、テレビ見せないように窓ピシャっと 締めやがんのな、

ケチくせぇ。

いいじゃん、たかだか五分の番組観せてくれてもさ、
学校は歩いてすぐ下、なんだし、

わざわざ集まる程の事か!つーの!

そんなんを見かねて、
そのうち岐阜の家に お母が白黒TVを買ってくれたな、

でもその時代でも白黒は無いやろ。【レッドマン】が【白黒マン】やんか。
(; ̄ェ ̄)

しかも室内アンテナの白黒テレビじゃ【レッドマン】はUHF、だったかなんかで映んないし…

お母が一生懸命してくれた事だから何も文句言わず、

俺はその白黒テレビが来た次の日もまた、
底意地悪い向いの家のガキ、迎えに行く振りで、
【レッドマン】を盗み見る、と。
Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

そこは一学期間しか住んでなかったし、どーてもいいんだけどね、そんなこと。

あ、思い出した。そのうちそこの家のお母さんが、
【レッドマン】観せてあげなさい、つってくれたんだ。

で、渋々そこん家のガキは、
無言で飯を食う間だけは、窓を開けといてくれる、と。

で俺は、
プライドが許さなかったかなんかで、その辺りからそのガキを無視する様になった、

つーか敵視する様になったんだ、そうだ。

母親の男は、愛の逃避行の割には、結局数回しか顔見せなかったな、
母親も、殆どそこの家には帰らなかった気がする。
結構よく帰って来てくれたかな?って程度。

前の団地から連れてった、ニャンコの"ミコ" と同んなし、
夜は 帰って来ねぇ…
(−_−;)

夜中は殆どいつも弟と2人きりだったから。

だから俺は今だに暗いと眠れない。怖い。

ほら、柳楽優弥の『誰も知らない』だっけ?
映画、あれ観た時、これ俺じゃん、とか思ったもんね、
あそこまで酷くはなかったけど。

『誰も死なない』でよかった。マジ。

【レッドマン】はその後、LD、DVDとBOXを買ってリベンジしてやったよ、

♪赤い〜赤いあいつ〜♪は、俺の復讐のヒーロ
ー、だな。

悔しくて悔しくて、毎日毎日歯を食いしばって、我慢ばっかの小4の頃の、

レッドマンのお話。

完。m(_ _)m