前Log.の、福武文庫 版の【カスパー・ハウザー】に、当人がどうなったかの顛末がなかったから50点、と書いたけど、

それはどうやら、著者が そこまでを執筆後に亡くなったからだそうで、

福村出版【カスパー・ハウザー 地下牢の17年】('77) に、

顛末以外にも、謎に包まれた後日談がいろいろと書かれてた…

この本も著者は同じだから 内容はもちろん同じなんだけど、米版を重訳したものだそうで、前出の福武版とは訳者も違うが、文章の記し方も違う。

そりゃ独語と英語じゃ当然 違ってくるか…

本編はどちらも、ハウザーの生前、この先どうなることやら?みたいな終わり方なんだけど、

今回紹介の福村版では、ジング教授による補足と、巻末に『付章 カスパー・ハウザー「バーデン大公後継者説」』が付録されてる。

このR・M・ジング教授さんが誰なのかは この本を読んでいただくとして、
おかげ、【カスパー・ハウザー】についてはスッキリしたので この方には感謝だ。

もやもや閊っかえてたハウザーの最後は…

※「 カスパー・ハウザーの生涯と運命についてのフォイエルバッハの報告は、ここで終わっている。というのも、ニュールンベルグの有名な捨て子の偉大な友であり保護者であった彼が、一八三三年五月二九日に死亡したからである。…略…

一八三三年十二月十四日、カスパー・ハウザーを暗殺する二度目の試みは成功した。…略…
クリスマスの準備中だった友だちの家を出た、およそ二時三十分から三時三十分の間に、カスパー・ハウザーは、見ず知らずの男に誘われアンスバッハの小さな公園に連れて行かれた。その場所には今も、その悲しい出来事を後世に伝える記念碑が立っている。そこで、その見知らぬ男はカスパーに、お母さんについてのニュースを持ってきたといって、彼にメモの入っている婦人物のハンドバッグを渡した。そして、カスパーがハンドバッグの中を一所懸命探している隙を狙って、薄刃の短刀でカスパーの胸を突き刺したのである。傷は胸を貫通しなかった。彼はその後、三日間生きていて、事件の様子を話してくれたのである。」

もう充分だろう…
後はネットで調べるか、本を読んでもらうとして、

カスパー・ハウザーは、17年間も穴蔵に閉じ込められていたかと思えば、あっという間の短い生涯を終えた…
何者かの手によって…

実に数奇な運命であり、生涯であり…
今も尚、語り継がれるその人生は、まさにエニグマ(enigma)!を体現したもの、

ハウザーが語らず、知らずとも、その突然の出現、存在自体が 計らずも全ての答えではなかったか…

すごいよね、可哀想、とか大変だね、とか言ってらんない凄絶さ。

ネット上に無様な姿を晒して、僕は 私はここに居るよ!気付いてよ、見てよ!とか云う、十把一絡げの、有名になりたいのよん、症候群の方々とは違う…

何故?普通に、有りのままに生きることさえ許されない?そっとしといてお願いだから!!
…まるで上野のパンダ、だもんな…

…ていう、苦悩が、たった21年間の命が、人々の心を捉えて後世まで離さないんだろうね…


"カスパー・ハウザー" (1812?〜1833)

いつか、歌の歌詞にして、俺の歌の中に生きてもらおう…
♪…カスパーのような〜♪





※福村出版【カスパー・ハウザー 地下牢の17年】(A・v・フォイエルバッハ著、中野喜達・生和秀敏訳)より引用。