昭和38年、【村越吉展】ちゃん当時4歳が東京都台東区の公園から…消える…
3/31日、午後6時頃のこと…
…世にいう《吉展ちゃん事件》である…

3日後、身代金要求の電話…「50万円揃えておいてください…」…
4/7、最後の電話がかかる…
「あの?村越さん?」…「あのね、ん〜、ではあの〜、ん〜、金持って来てくれるかね?、そいでね、ん〜と、お母さん一人でね、えぇもうあの、これでおしまいだからね(ここだけハッキリ)、いいですか?」…

身代金受け渡し場所は、自宅から300m離れた『品川自動車』。
目印は吉展ちゃんの靴…、金を置いたら家で連絡を待つよう指示…

しかし…
警察のミスから…身代金を奪われ犯人は逃げてしまう…

その後犯人からの連絡はなく…世論は警察を非難…
メディアを通して犯人の電話の声を公開…一般からの情報提供を呼びかけた…

すると…一人の人物を名指しする、9件ものタレ込み…
…その中には、その人物の弟までもが含まれていて…
「放送の声がよく似ていて…」…

その男とは、時計修理工【小原保】(当時30)…
だが、別件で逮捕も、アリバイから証拠不十分で保釈…

…何度か取り調べを受けるも、逮捕に至らず…2年後捜査本部は解散…

そして…【落としの八兵衛】登場!!

やがて…事件発生から2年3ヶ月後…
犯人の自供から吉展ちゃんの遺体が、荒川区『円通寺』から発見される…

八兵衛「保くんよ、保くん、こっち見なさいよ…僕も君の目、見るから…ん?」…
しかし小原は(当時、窃盗罪で服役)黙秘…

取り調べは10日間…そして9日目…ある話から、黙秘を続ける小原の態度に変化が…

八兵衛「お前のお母さんがね、僕達が福島へ行ったら、あぁ?本当にもう気の毒だよ…
中腰曲げてね、歯は抜けてしまい、言葉がもうはっきりしない…

…それでもね、泣きながらね、刑事さん…早く本当の事を保つに言わして、解決つけてくださいと…
(中略)…お前のお母さんこんな状態だったよ…」…

八兵衛「お前のお母さんこんな状態だったよ…おい、保!見てんのか?、(「見てるよ…」小原)お母さんこんな状態だったよ…」

小原の母親の見せた行動(土下座)を、何度も再現する八兵衛…

八兵衛「…お前の家を出てきて、道の高い所を道路へあがったら、後から追っかけてきて、泥んこの上にベッタリ座っちゃって…(中略)…
お前たまにはお袋の姿をね、頭に浮かべたことあるのかい!…保!保!」…

脚が不自由で、虐めの中で育った小原…その息子をかばいつづけた母親…
その母親が、泥の地面に額をこすりつけてまで真実を語って欲しいと懇願したという…

…人の子なら、何より辛い光景…

そして…小原は取り調べの最中、東京で火事を見たという…
その火事の日には、アリバイの、福島の実家で"凍み餅"を食べる事は出来ない!…

八兵衛「…38年はね、普通の餅の『凍み餅』は作ってないって…イモ餅以外にはないと…」
小原「38年?」…

八兵衛「…それでもまだ言い訳つくと思ってんの?アンタ!…」…
小原「自分のやったことに対しては、言い訳しようとは思わないんで…」…

そして…翌日、小原自供…

その獄中手記…
「…現在の気持ちは、私の一生を通じて一番晴れた気持ちです。」小原保…

昭和46年、小原の死刑執行…
「今度生まれる時は、真人間になります」、そう八兵衛に伝えて欲しいと言い残したそう…

死刑執行から4年後…八兵衛は小原の古郷を訪ねる…
そしてそこには…
小原家の墓の右隣、土盛りだけの【小原保】の墓…

それを見て八兵衛は、声をあげて号泣したという…


八兵衛「例え一時なれど、"真人間"になってね、さばさばした気持ちを人に見てもらおうという気持ちはないかい?君!」…


とても綿密な史実記録でした…
平塚八兵衛…スゴい刑事だね…

他には、3億円事件等…
誌数が尽きないので、いつか機会があれば…